慢性張り子症

荒井良・工房もんも 公式ブログ

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メタモルフォーシス展ーー変身と変態の快楽(けらく)に参加しています

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メタモルフォーシス展ーー変身と変態の快楽(けらく)
2017年6月3日[土]〜6月26日[月]
■月~金/13:00~20:00 土日祝/12:00~19:00
■入場料:500円(開催中の展覧会共通)
■会場:parabolica-bis(パラボリカ・ビス)
住所:東京都台東区柳橋2-18-11 map
電話:03-5835-1180
webサイト http://www.yaso-peyotl.com/archives/2017/05/metamorphosis.html

[出品作品について]

—MELTDOWN「被曝」—


「MELTDOWN」シリーズの制作のきっかけは、百科事典で見た一枚の写真からであった。中学生の頃である。それは薄暗い水中から水面を見上げるような形で撮影されたもので、幾何学的な形の構造物が青白い光とともに浮かび上がっていた。黄昏時の景色のような明るさが、妙に不気味に感じられたことを憶えている。

解説文には“チェレンコフ光”とあり、放射線による化学変化で生じた光であるという。それが原子炉の中心である冷却水の内部を撮影した写真であることがわかると、専門用語を並び立てた難しい文章はかえってあらぬ妄想をかきたてる引き金となった。まるで凶悪犯を収容する拘束具付きの特別誂えの独房ででもあるかのような幾重にも閉ざされた扉の奥にある、ふれてはならぬ“もの”に対するイメージを膨らませては妄想を募らせていったのである。

そのイメージは後年いろいろな力を借りて形(作品)にすることができたが、その歩み始めた流れを一変させるような出来事が起こる。3.11である。それは恐れていたことが具体的な形で現れたというような次元ではない、一個人のトラウマや妄想などとは比較にならない悲惨な現実を思い知らされる結果となった。同じフィールドであるとはいえ、現実に起きた出来事との差はあまりにも距離がありすぎて、今なお制作と関連づけることが躊躇される状態である。

中学生の時に見た写真の青白い光景は、現在でも変わらず目に焼きついている。しかし作品の元となるグロテスクなイメージを創造させる対象は、今までのような扉の奥にある“もの”ではなく、それを封じ込めコントロールしようとする行為そのものに移行しているようである。これからいくら時が過ぎても奥にある“もの”は、扉をひとつひとつこじ開けて我々を確実に蝕んで行く。


—EATER—

80万年後の地球をタイムマシンで旅をするという映画があった。古典的SFを映画化したものだったが、そこに描かれた未来の人類は進化の末に2つの種族に分かれており、両者の間には“喰うもの”と“喰われるもの”という究極の支配関係が成立していた。“喰うもの”は地下社会に身を潜め姿を現すことなく世の中を支配し、“喰われるもの”はただ与えられた生活に満足しながら何も知らされないまま屠殺場へと送られて行く。

当時の子供(自分)には映像の裏にある比喩的なメッセージなどわかるはずもなく、地下生活のために変貌を遂げた未来人の奇怪な姿にただ興味を募らせるばかりだったが…。話の主旨は何の問題意識もなく自分たちの置かれた現実を疑うことすらしない“喰われる”側の民と、さらにそうした未来世界を生む結果となった戦争という人類の愚行とを描くところにあったに違いない。

「EATER」はこの映画の記憶が原点にあるといってよいが、自分の半身を喰い尽くしてまでも生き延びようとするこの生物の姿は、人間の変貌やカニバリズムなどといった映画の中ではむしろ補佐的な役割を持つ要素がイメージの元となっている。

社会批判やタブーの領域にまで踏み込んでいながら、全体にどこか長閑で牧歌的ともいえる映像が印象的だったが、80万年後の未来はともかく人類の行き着く先が決して幸福なものではないという映画の結末には異論はない。


荒井良
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  1. 2017/06/11(日) 20:22:25|
  2. 展覧会記録
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